おはようございます。
のムのム
でございます。
皆さんはこの方を知っていますか?
サッカー日本代表を2回指揮をした
岡田武史
そんな岡田さんだからこその裏話などを拝見したので紹介したいと思います。
岡田武史さんとは何者?
日本の元サッカー選手、サッカー指導者。
現在はFC今治運営会社「株式会社今治.夢スポーツ」代表取締役。
日本エンタープライズの社外取締役、城西国際大学特任教授、日本サッカー協会参与。
日本代表を初のFIFAワールドカップ出場に導き、1998 FIFAワールドカップ本大会でも指揮を執った。
2007年から再び日本代表の監督を務め、2010 FIFAワールドカップでベスト16。クラブチームではコンサドーレ札幌、横浜F・マリノス、中国の杭州緑城の監督を歴任した。
横浜FMでは2003年、2004年とJ1リーグ連続優勝を果たした。
(Wikipediaより)
とありますが
まず2回、日本代表を就任するのが凄すぎるし結果も出している。
リーグでも優勝するなど名監督です。
Jリーグが始まるまでの岡田さん
Jリーグが始まるまでのサッカーは立場で言うと部活と同じククリだったそうです。
会社で仕事をやり仕事が終わったらサッカーの練習をする。
そんなサイクルだったそうです。
さらにその時代は残業をして働かないと暮らしていけない状態だったらしく、残業してサッカーをしていました。
さらに日本代表の遠征などは借金をしないと行けなかったそうです。
余談では岡田さんは風呂マットを作っていたようです。
岡田武史さんが初めて日本代表監督になった裏話
1998年フランスワールドカップの予選の出来事。
岡田さんはドイツ留学をし、サッカーの指導者としての知識を得たのち日本代表のコーチに就任します。
しかしフランスワールドカップの予選では結果が出ず、当時の監督の加茂周監督は更迭。
そして変わりに監督になったのは岡田武史さんでした。
実は加茂監督が更迭してから岡田さんが指揮するのは本当は1試合だけでした。
その1試合も勝てなかったのです。
岡田さんは選手のいるロッカールームに行った時です。
選手がワンワン泣いていたのです。
その時に岡田さんはこう思いました、
俺はこいつらをほっとけない!
日本に帰った岡田さんは加茂さんに直接会い、日本代表監督をやらせて頂けるようにお話したそうです。
それには理由がありました。
岡田さんは最初のミーティングで
「俺は経験、カリスマ、選手実績も無い。
自分の培った理論しかない。俺はこういうサッカーをする、嫌なら出てってくれ。
俺は厳しくいくぞ、ついてこられなかったら帰っていい」
それぐらい凄い一週間の練習だったそうです。
その当時の井原選手は
岡田さんを信じて練習を付いていき
結果が出なければ「岡田さんを吊し上げよう」と言ったぐらいです。
そこまでやって選手は信じて頑張っても、結果が出ずに泣いている選手を岡田さんはほっとけないと思ったんでしょう。
ワールドカップの出場を決めた日の夜は普通ならバカ騒ぎでもおかしくなかったですが、
その時の選手たちは負けたかのような静かさだったそうです。
「やっと日本に帰れる」
そんなプレッシャーからそんな空気だったそうです。
日本が初めてワールドカップ出場した裏話
岡田さんはその当時、スターである三浦知良を代表から落選させて
批判などを受けて、異様な空気だったそうです。
その時に助けたのは
アーセン・ベンゲル
練習場に現れたベンゲルは岡田さんにタバコを勧め、話をしたそうです。
それから岡田さんは監督の時だけタバコを吸うことになったようです。
また岡田さんは初めてのワールドカップで色んなワールドカップ出場の監督や選手に聞いたそうです。
「ワールドカップは何が違うのか?」
皆が言うのは
「メディアのプレッシャーが違いすぎる」
という答えが必ず返ってきたそうです。
岡田さんは初めてのワールドカップでやった事は
選手をメディアから守り、選手の味方である事!
選手が後悔しないサッカーをする事!
この2つをするだけで精一杯だったそうです。
しかし選手を第一に考えれる岡田さんは素晴らしいと思います。
2010年の2度目の代表就任の裏話
今回の代表就任もワールドカップ予選中の急遽代表監督就任でした。
岡田さんは半年前からチーム戦術の
前からのプレッシング、後ろからつなぐサッカーは通用しないと思っていたそうです。
それには理由があり
・ボール際で勝つ
・1人1キロ多く走る
・中距離のパス精度上げる
これの成功で出来るチーム戦術でしたが、パス精度が上がらず
チーム戦術を捨て、守備重視の戦術に切り替えたそうです。
中盤の本田圭佑をFWにコンバートなどです。
それが大ハマりし、日本代表は勝てるようになりました。
このデンマーク戦では点を取る為に、最初はシステム変更して失敗し、
遠藤選手から「システム戻そう」と言われていたそうです。
戻したら、この点に繋がります。
また代表選出でも岡田さんの色が出ていました。
松井大輔選手は
代表に選ばれるか微妙な立場でした。
しかし岡田さんは代表のレギュラーで定着。
理由は
闘える選手を出したかった。
技術も大事ですが、気持ちで闘える選手。
当時、香川真司選手も代表候補でしたが
その当時の香川選手はチームより
自分の技術を世界に見せると思っていたようで、岡田さんは見抜き代表から外しました。
岡田さんは勝つ為に闘える選手を選び、
当時、遠藤選手は
スライディングもした事無いぐらいでしたが、闘えるハードワークをする選手に変貌したそうです。
現在の岡田武史さんは?
FC今治運営会社「株式会社今治.夢スポーツ」代表取締役。
何故?岡田さんは会社を運営しながらこういう事をやっているのか?
それは
日本人らしいサッカーをする選手の育成の為
若い頃からプレーの原則を理解してもらい、
若い頃に基本を染み込ませて
大きくなってから基本は忠実に自由な発想でサッカーをやれば、選手の成長につなげられる為の育成。
また先程書きました
闘える選手の育成。
これを重点に活動しているそうです。
岡田さんが言うのは代表の監督は外人なのは世界の経験があるのであって、日本人はやっと海外で活躍した世界を知る人が指導者になる。
今までで外人監督で足りなかったコミュニケーションを、その世界を知る日本人指導者が出てくる事で
日本人監督の選択肢が出てくる。
日本人の良さを知る監督が出て来て、日本サッカーが強くなると考えています。
どうでしたでしょうか?
個人的には岡田武史さんはサッカー界の未来まで考え、行動する姿勢は尊敬しますし応援していきたいと思いますね。
最後まで見てくれて
ありがとうございましたm(__)m
昨日は
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ありがとうございましたm(__)m
結構割れてましたが、どれも美味しいですよー。
検索機能は役立ててくれると嬉しいですね。
かなり便利ですよ~。