おはようございます。
のムのム
でございます。
本日は3月11日。
東日本大震災が起きた日です。
忘れてはいけない。
風化してはいけない事です。
だからこそ
東日本大震災に関しての話を書きます。
パパが撫でた事がある髪だから
「幼稚園で一番長いんだ」
お尻まで伸ばした髪をなびかせ、ほほ笑んだ。
宮城県塩釜市の高橋心陽(こはる)ちゃん(6)は、これまで一度も後ろ髪を切ったことがない。
東日本大震災が起きたのは1歳の時。
津波のことも、消防団員として避難を呼びかけながら亡くなった父、昌照(まさてる)さん=当時(37)=のことも、
ほとんど覚えていない。
「パパがなでた髪かもしれないと思うと、切れないんです」
母の陽香(はるか)さん(42)にとって、心陽ちゃんの髪は夫のぬくもりを残す大切な思い出だ。
昌照さんが乗っていたポンプ車は自宅から約150メートル離れた場所で大破して見つかったが、連絡はとれないまま。
13日に避難先で知人と再会した陽香さんは、思わず泣き崩れた。
「パパがいないの」
傍らでは子供たちが不安そうに見つめていた。
「もう泣けない」
涙をこらえた。
夜、おぶっていた真心君がつぶやいた。「パパ、死んだんだよね」
思わず否定した。
「パパ、生きてるから!」
自分に言い聞かせていたのかもしれない。
息子は背中で泣いていた。
同月30日、自宅近くのがれきの中から遺体が見つかった。
作業着の胸と肩には家族3人の名前をつなげた「真心陽香」の刺繍(ししゅう)。
肌は土色になっていたが、確かに昌照さんだった。死因は頭部損傷。ヘルメットには亀裂が走っていた。
昌照さんは最後まで住民に「逃げて」と呼びかけ、消防団仲間に「家族を逃がせ」と促していた。夫らしい行動だったと思う。
最後のキス
気仙沼周辺で配送作業中に津波にのまれたらしいと、夫の上司から知らされた。
子供が眠ったのを見計らい、遺体安置所に向かった。
目の前のひつぎの中で眠っているのは、間違いなく夫だった。
涙があふれ出た。
遺体に何か着せてやろうと、倒壊を免れた自宅に戻り、
会社から引き取った夫の荷物にふと目がいった。
指輪が入っていた。
以前、
「たまには指輪とか欲しいけど、パパはプレゼントくれる人じゃないもんね」
と、意地悪を言ったのを思い出した。
ホワイトデーのプレゼントに、こっそり買ってくれていたらしい。
夫の顔についた泥をぬぐい、優しくキスをした。
(neverまとめより)
募金
バイト先に若いお兄さんたちが軍団でお酒を買いに来たんだけど、
その中の一人が「やべえ、オレお酒のためにしかお金持ってきてないから
募金できん。ちょっとこれ買うのやめるわ」って言って商品返品して
そのお金全部募金してた。お友達も続々と募金しててすごい感動した。 すごいよ
母親のお話
これは私(のムのム)の母親の話です。
そんな母親が東日本大震災が起きて
母親は初めて岩手県に戻りました。
見た光景は
子供のころにあった景色。
自分が育った家。
子供と一緒に行った場所。
仲が良かった友。
全て無くなったそうです。
土地は全て水平線。
行けども行けども何もない空間。
母親は泣き崩れさったそうです。
全て無くなった・・・
物も景色も友も思い出も。
昨日書きましたが
母親に何か出来ないのか?
これに繋がるんです。
だからこそ母親の力になってあげたいのです。
まとめ
今回はほぼコピペです。
個人的にはこれでも良いと思います。
東日本大震災を忘れない。
この為にやってますから。
沢山の方の悲しみがありました。
それでも前を向いて頑張っている方々がいます。
それをこんな微力のブログですが
発信出来ればと思います。
最後まで見てくれて
ありがとうございましたm(__)m
昨日は
スター
ブックマーク
ありがとう
ございましたm(__)m
コメントにも沢山ありがとうございましたm(__)m
やはり書くことで問題点が明確になり
気持ちが落ち着きますね。
そして皆さんの言葉が自分に勇気を与えてくれます。
本当にはてなブログで良かった。
本当に感謝致します。